山里3部作、ついに完結
『若者は山里をめざす』、『山里は持続可能な世界だった』に続き『山人』が完成 ―
福島県奥会津地方の山奥の村に、山を知り尽くしたと呼ばれる山人(やまんど)が暮らしている。菅家藤一(かんけとういち)さん、昭和28年生まれ。彼は一年を通じて山に入り、山の自然を壊すことなく、山の恵みに生かされて暮らしている。それは縄文時代から受け継がれてきた暮らしの作法。そこには私たちが持続可能な未来を実現するための羅針盤があった ―
山里3部作、ついに完結
『若者は山里をめざす』、『山里は持続可能な世界だった』に続き『山人』が完成 ―
福島県奥会津地方の山奥の村に、山を知り尽くしたと呼ばれる山人(やまんど)が暮らしている。菅家藤一(かんけとういち)さん、昭和28年生まれ。彼は一年を通じて山に入り、山の自然を壊すことなく、山の恵みに生かされて暮らしている。それは縄文時代から受け継がれてきた暮らしの作法。そこには私たちが持続可能な未来を実現するための羅針盤があった ―

福島県の西部に位置し、尾瀬を源流とする只見川沿いにある山間の町。古くから会津桐の産地として知られる日本有数の豪雪地帯に10万人が暮らす。山の植物を使って生活道具のカゴやザルを編む古くからの手仕事は今も多くの村人たちに受け継がれ、「奥会津編み組細工」として国の伝統的工芸品に指定されている。山国の美しい景観であることから「日本で最も美しい村連合」に加盟している。菅家さんが暮らす間方地区は町の中心地から12キロ奥の奥地に位置し、26世帯、48人が暮らす。




1957年千葉県生まれ。上智大学卒業後、1988年、東南アジアの熱帯林破壊をテーマにした「開発と環境 ~ 緑と水と大地そして人間」(JICA企画)で監督デビュー。医療・看護・建築・伝統文化・国際協力などの短編映画・テレビ番組の制作を経て2004年「海女のリャンさん」(文化庁記録映画大賞・キネマ旬報ベストテン第一位)で長編記録映画の製作を開始。以後「いのち耕す人々」、「里山っ子たち」、「天に栄える村」、「無音の叫び声」、「いのちの岐路に立つ~核を抱きしめたニッポン国」、「武蔵野 ~ 江戸の循環農業が息づく」、「お百姓さんになりたい」、「タネは誰のもの」、「食の安全を守る人びと」、「若者は山里をめざす」、「山里は持続可能な世界だった」など、主に農業をテーマに作品を発表。
今から8年前、奥会津の山深い集落を訪ね歩いていた時、まず目に入ったのはかつての日本の伝統的な風景でした。屋根はトタンに葺き替えられているものの茅葺屋根の家を壊すことなくで暮らしていたのです。私は地元で「山を知り尽くした男」と呼ばれる菅家藤一さんを訪ね、お話しを聞くことにしました。菅家さんは若い頃から奥山に分け入り、今も山の恵みに包まれて生きてきたと言うのです。その生き方に深い感動を覚えました。
菅家さんの山での営みを映像記録すれば、私たち、現代人が見失いがちになった大切なメッセージをつたえられるのではないだろうか。そう予感した私は菅家さんに取材を申し込んだところ、すぐに受け入れられました。
撮影を重ねるうちに、徐々に菅家さんの心の奥底に潜む深い思いを語ってくださるようになりました。それを多くの方に伝わればと思っています。
2014年から一貫して原村政樹監督の映画製作と上映活動を支援。長年にわたり農文協編集部で全国の農業農村の移り変わりを見守ってきた。農的暮らしを提案する生活雑誌「季刊・うかたま」(2005年創刊)の初代編集長等を歴任。元・(株)農文協プロダクション代表取締役。川越市在住。
日本の国土の3分の2を森林が占め、南北に長く地形は複雑だ。各地各様の山里・里山の風景が広がっている。この形態は、今から1万2千年以上も前の縄文時代に基層が作られたという。その落葉広葉樹林に芽生えた循環型の持続可能な生活スタイルは、昭和30年代まで続いた。自然環境と折り合いをつけながら、資源を繰り返し再生利用してきた。日本文化は、落葉広葉樹が広がる山里・里山に育まれたと言ってもよいだろう。
福島県三島町の菅家藤一さんは、山間の田畑を使った野菜や稲つくりをベースに、山里・里山での山菜やキノコ採り、奥山での狩猟、そして山ブドウ蔓やマタタビ蔓の採取と加工(籠などの生活工芸品)と、まさに四季を通じて山の恵みに生かされた生活をおくっている。もちろん現代人としての利便性を享受しているが、山無くしては今の生活が成り立たない。何よりも菅家さんは、山の恵みを受益する側の人としての感謝の心と、自然との付き合い方を長年経験し積み重ね培われた矜持を持ち続けている。矜持とは、山への畏怖とその恵みを使いこなす菅家さん自身の能力や鍛錬から出てきた信条でもある。山を縦横に巡る体力と知識が半端ない。そして山の恵みを生かす自然との折り合いの付け方、日々の生活や網組細工も含めて一つ一つが丁寧なのだ。丁寧さからくる網組細工作品の出来映えは、他を圧倒する。そうか、縄文以来の日本人の自然との共生を具現化し続けているのが山人=菅家さんなのだ。
映画『武蔵野』で初めて原村監督とタッグを組んで以来、現代に於ける山里の価値の再発見に眼を向けてきた。『若者は山里に向かう』『山里は持続可能な世界だった』、そして本作品『山人』と山里3部作を締め括るにふさわしい作品になったのではないか。それにしても、前2作に登場した埼玉県東秩父村の鈴木久恵さんの東日本大震災時に「山に居れば不自由することは一切無かった」という言葉と、「山に生まれて山に育って何も後悔しない」と言う菅家さんの言葉は重なり、共鳴している。縄文から現代まで続く日本人の根源的な世界観と実生活、これからも失ってはならないと強く思う。
| 都道府県 | 上映会場 | 電話番号 | 公開日 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 東京都 | 新宿K’s cinema(ケイズシネマ) | 03-3352-2471 | 3月28日(土)〜4月10日(金) |
コメント
山の恵みをいただくとは、人生をかけて山と対話することだと、この映画で知った。
早春、ゼンマイは急斜面に伸びる。それをカモシカも人間も、次の春も絶やすことがないよう気遣いながらいただく。持続可能とはこういうことをいうのだ。山ぶどうの三層目の皮を剥ぎ、等間隔に裁断し、籠や笊を編む。その美しさと言ったらない。山人の知恵を掘り起し、編み込んだ監督のまなざしの確かさに深い感銘を受ける。永遠に残る名作だと思う。
この山菜が食べられるということが分かるまで、つまり他の多くのものは食べられないということが分かるまで、いったいどのぐらいの人が犠牲になったのだろうか?蕨(わらび)は苦くて食えないが、灰を入れて茹でれば美味しく食べられる・・など、植物の一つひとつのなかに、飢えと背中あわせにものを食べてきた人びとの、命がけの体験と知恵が宿っている。山ぶどうの蔓を含め、俺たちはこんな先人の知恵に守られて生きてきたんだ。映画「山人」を観て、食べ物のへのありがたさを改めて思った。この映画は、暮らしの基本に気づかせてくれる家族で見たいいい映画だ。
人間は自然の一部であると骨身に刻み込んだ一人の山人・菅家藤一氏。深い山裾の小さな集落に生まれた山人は、周囲の山の隅々まで知り尽くしている。
山を知るということは、恵みと災厄の表裏一体を成す自然の相貌を読み、畏れ、敬い、感謝することだと、彼の素朴な語り口が紡ぐ言葉は鋭い。自然を棲み処とする人も、生き物も、植物も、持続可能な共存を図るためには、厳然たるルールがある。長年の山との暮らしから得た叡智は、自然を壊さなければ生きられない人間の、立ち返るべき原点を指し示している。
福島県三島町の山と森の世界に暮らす菅家藤一さんの日常を記録したのが、原村政樹監督の最新作『山人』である。極めて地味に、カメラが山に生かされてきた菅家さんの日常に食らいつく。純朴な人柄の向こうに見え隠れする覚悟。そこには日々積み重ねてきた知識と技術に裏打ちされた深遠な山と森の世界とヒトの関係の具体が浮かび上がる。時代を超えてヒトと自然の分かちがたい共生(ともいき)という生き方。それが『山人』である。
「山人」菅家さんの1年の営みが、考古学の本で読んだ「縄文カレンダー」を見ているようでした。山村で営々と受け継がれてきた“知恵”の集積と、ひとりの山人が生きるなかで培ってきた“哲学”の深さに引き込まれると同時に、都会でモノやネットワークに頼り切って暮らす自分には、何一つ“生きる力”がないことに慄然とさせられました。
奥会津にある三島町は、太古の昔から、自然とともに暮らす人々の息づかいが聞こえる村でありつづけた。ここには豊かな自然があり、季節とともに移りゆく自然のすべてを活かす技をもつ人たちが暮らしてきた。この山村を舞台にした自然と人間の映像からは、これからも受け継いでいかなければいけない根源的な生存の意味が伝わってくる。
原村さんはズルい人だ。カンブリア宮殿で視聴率を取るのは派手な企業モノは消費ネタだったのに農業や林業の企画ばかり持ってくる。断っても何度も来る。話も長い。根負けした私は原村作品を沢山放送してしまった。ところがどっこい、どの映像も実に良いのだ。額に汗して働くことの尊さ、自然を守る大切さが強烈なイメージとして伝わってくる。原村ファンになった私は、いつしか次の企画を心待ちにしていた。本当にズルい(笑)。
山の声に耳を澄まし、必要な分だけ命をいただき共に生きる。「山人」にとっては何年も続けてきた“あたり前”の日常だ。 その“あたり前”をこの映画を通して、「山人」を通して私たちは学ぶ必要がある。 気候変動、戦争、差別…。今、社会は壊れかけている。 だからこそシンプルな「山人」の生き方は平和さえメッセージしているように思えた。
とにかく作品を通じて「節度」と言うものを痛切に考えさせられました。山葡萄の籠を編む菅家さんの「何も考えないで手が動くが、気にしているのはしっかり目を詰めて編むこと」と言う言葉が印象的です。それは、お客さんに気に入ってもらう為という様な線分の端に向けた節度のない言葉ではありませんでした。きっと節度とは、我々ひとりひとりの点が何ら出し抜く事なく寄り集まって、地球が太陽の周りを回るような滑らかな環を描く事なのでしょう。それにしても今見終わって、やってみたこともないのに、“こんな生活に戻りたい”と感じているのはなぜだろうか…。
家さんを見ていると、「足るを知る」といった言葉が浮かぶ。
山ブドウの蔓や山菜をいい時期に必要な分だけ採り、山を循環させる。むかしはこういう山人がもっといたものだが、時代と共に少なくなってしまった。音楽もない、ナレーションもない、ひたすら山の気配を感じる75分間という、シンプルかつ至幸の体験。原村監督のひとつの到達点であり答えがここにある。
山と共生する菅家さんの豊穣な日々。この映画には持続可能な「知足」、足るを知る生活がある。
採りたての山菜料理の美味しそうなこと!私たち都会人の消費社会って、なんと“貧しく” ”持続不可能”なのか。しみじみと気づかされるのです。
「山人」から思いだすのは、親しくおつきあ いさせていただいた故姫田忠義監督の遺した映像作品「山に生かされた日々」 40数年前、京大吉田寮の寮食堂で上映され たこの作品がきっかけで私の人生はくるった 「列島先住民族の知恵に、学び暮らしたい」 信州の山村医師として家族で十数年を過ごす そんなご縁に繋がった、ダムに沈んだ越後奥山の生活 いま、会津の「山人」との出会いが、現代日本人の心と人生をくるわすことを期待したい。
山の時間は止まることなくゆっくりと果てしない。そのサイクルが、永遠に続くことを祈らずにはいられない。自然と共に暮らす術を知っているものも残り少ない。自然が汚された福島県でこのような記録を遺すことの意味は深い。山人の点描。皆さんに知ってもらいたい自然との共生と、生き残るためのサバイバル。
中山間地が7割を占める日本では、かつては山と共に生きる暮らしがあった。山の恵みを享受しつつも、資源を絶やさないように配慮する。むしろ、人が入るからこそ保たれる風景。管家藤一さんが体現する「循環」という言葉の重み。
縄文から受け継がれてきた暮らしが、気候変動と温暖化で大きく変わりつつある。それは熊をはじめとする動物たちが伝えている。その原因をつくっていると言っていい都市部にいる私たちこそ観るべき作品。
前作に登場した菅家藤一さんを、四季を通じて丁寧に追うことで、「持続可能性」ついて、より具体的に教えてくれる作品だ。この「持続可能性」は、少し前までどこにでも当たり前にあったに違いない。社会を持続可能にしなくてはならない今、一体どうしたらいいのだろう・・・?そう思いながら、私自身も都市と農山漁村をつなぐ仕事に取り組んでいる。二人の弟子の行く末を気にせずにはおられないが、まずは弟子がいることが希望なのだと思う。
原村さんの作品ははいつも「日本のよさ」を気づかせてくれます。 それはまだ昭和の時代には感じることが出来たのでしょうが便利な時代にそれは忘れられつつあるようです。 日本の四季・山の恵みに生かされている「山人」は 「取るで無く頂く精神で日々暮らしていく」 自然と一緒に楽しみながら生きる人の原点を教えてくれます。
日本ではあたりまえの春夏秋冬(四季)も、雨も、海外を旅行するとあたりまえでないことに気づかされる。福島県会津の山あいは有数の豪雪地帯で、日本の中でもとりわけ四季が明瞭だ。春には山菜採り、初夏はぶどう蔓採り、秋はきのこ採り、冬は狩猟と、縄文時代からの伝承知が脈々と引き継がれてきた。コンビニやネットでは決して買えない豊かさ、自然や我々のご先祖さまとのつながりがここにある。
こんな山里で育ったら、人生は、いかばかり違っただろうか。福島県三島町の標高500メートルの集落に住む菅家藤一さんは、昭和28年生まれ。わたしより2歳年長なだけだが、その生活体験と知恵、そして技術は、都会暮らしのわたしからは想像もつかない豊かなものだ。カメラをそれを丹念に追う。 菅家さんは、ヤマブドウやマタタビの蔓で、籠を編んでいる。「奥会津編み組細工」という伝統の手仕事だ。材料を山中に採りに行くところから、編んで籠に仕上げるまで、すべて自分の手で行う。同県の縄文晩期の荒屋敷遺跡からは、1万点もの籠類の遺物が出土しているというから、その歴史は縄文まで遡ることができるはずだ。
山に入る菅家さんの姿を見てハッとした。提げている袋が、アイヌの編み袋「サラニプ」にそっくりだ。アイヌはシナノキやオヒョウの樹皮で編む。菅家さんは、この編み袋に採取したヤマブドウの樹皮も入れれば、春には山菜、秋にはキノコを入れて、アイヌと同じように使ってきた。ほかにもアイヌとの共通点はあった。
菅家さんは、山菜でもキノコでも蔓でも採りつくさない。次の年に生える芽を必ず残す。「カモシカもきれいには食べない。不思議と残していく」と菅家さん。アイヌにもまた「山菜は採りつくしてはいけない」という教えがある。人も動物も、森と共存する術を知っている。偶然ではなく、それは縄文から響き続ける知恵なのかもしれない。 菅家さんの家では、食卓には毎日、山菜が出る。長い冬も、塩漬けした山菜がおかずになる。「贅沢ですね」という声に、菅家夫人は戸惑うように「あるから。出てるものをいただいているだけだから」と。必要に迫られた素朴な暮らしなのだ。それが、都会人から見たら、たいへんな贅沢に見えてくる。それでちょっとトンチンカンな質問になる。 菅家さんは語る。「退屈ってのはなかったですね。次から次に楽しみがあるから」。春は山菜、夏は魚釣り、秋はキノコ狩り、冬は山に猟へ。それは「遊び」でもあるし、日々の糧であり、金銭を得る手段でもあった。家族も村の人も喜んでくれる。心豊かな楽しい労働だ。都会人のわたしたちは、そんな労働をしてきただろうか。 最近は温暖化で森に大きな変化が起きているという。心配だ。しかし、菅家さんのところで、若い人が学び、結婚もして土地に居つき、その技を伝えてくれているのは心強い。都会に住むわたしたちが、放縦にエネルギーを浪費して、こんな山里の暮らしを壊してはいけない、と改めて思った。ほんとうに、ここで育ったら、人生は、いかばかり違ったことだろうか。